何年も会っていませんでした。
元気なおばあちゃんでしたが、ここ数年で目や足が悪くなって、
ベッドの中で過ごす毎日だったため、面倒を見る人が必要な状態でした。
去年の夏、一時期私の実家で預かることになった時、久しぶりに会いました。
そのときの祖母は、私の記憶の中よりもっと華奢で、
話していても少し夢の中をさまよってるみたいでした。
でも、私が麻布十番に住んでいるということはわかってくれて、
昔洋裁の先生が麻布十番に住んでいて、習いに通ったのよ、と何度も話してくれました。
だから麻布十番に親近感を覚えてたんだな、私。
祖母が洋裁を習いに行った話、小さい頃も聞いていたはずでした。
なんか、忘れてた。
祖父母の家は神谷町にあって、私の実家は町田市(東京都です)だったので、
うちで帰省といえば、うちより都会にある家を訪れることでした。
小さいころは、毎年夏休みの数日だけ、祖父母の家にお泊りするのが大好きでした。
博品館でぬいぐるみを買ってもらったり、東京タワーの近くのプリンスホテルでメロン食べたり、
トーストにはチョコがのってて、私の好きなトマトは1個丸ごと私のために出されて、
小指にはじめてマニキュアを塗ってくれたのも祖母でした。
祖母は洋裁を仕事にしていて、進駐軍の奥様たちの洋服も縫ったのよ、
と話してくれました。私が小さい頃もまだ働いていて、家の2階は仕事場でした。
足踏みミシンで、ぬいぐるみの洋服を作ってくれたりして。
私が手芸が得意だったのは、間違いなく祖母の影響です。
元気でちょっとミーハーな人でした。小さいとき、「あきちゃんには学習院か、上智に
いってほしいわあ~」と言われたのを覚えていますが、学習院と上智と言ってくるあたり、
さすがおばあちゃんです。
これで客室乗務員にでもなったら、すごい自慢の孫だったかと思いますが、
あいにくと、そうはなりませんでした。
絵も上手で、新聞に掲載されたときの記事を見せてもらったことがあります。
手先が器用な人でした。手を動かすのが好きな人だから、絶対ボケたりしないに違いない、
と思っていたので、目が見えにくくなって洋裁をやらなくなり、足が悪くなって外にも出られないと
聞くのは悲しかった。老いていくってこういうことなんだと思うと、ショックでした。
東京では珍しく雪が降った2日の朝、祖母は他界しました。
私も洋裁じゃないけど、作る仕事をしているんだよーと伝えたかったけど、
Webサイトなんて存在を知らない祖母には、私が何やっているのか
ずっと不明だったと思います。
自営で大変な時期もあったと思うから、自営業なんてやめなさい!って言うかも。
でもね、おばあちゃん大変だったかもしれないけど、仕事してるのってすごいなって
ずっと思ってたよ。
ゆっくり休んでね。








